豊後服装lab.コラム

現在の自分にしか挑めない作品を描く

コラムイメージ

鮮やかな色彩と生命力溢れるダイナミックな作風で、見る人を魅了させる画家、北村直登さん。
学生時代に縁があった大分県を拠点に選び、創作活動を行う彼が、大分に対する想いや絵を描くときに大切にしていること、
ライフスタイルについて語る。

ブラジルへのサッカー留学で得た
“子どもに戻る” トリガーを引いて心を開く価値観

僕の出身地は福岡県なんですが、高校入学のタイミングで大分県佐伯市にある学校への進学を決めました。理由はサッカーでブラジル留学をするため。その高校では、1 年間ブラジルにサッカー留学ができる制度があって、入学式の次の日にはもうブラジルに発つ、というスケジュールで高校生活が始まり、サッカーに明け暮れる日々を送っていました。

高校1 年生というと、ある程度日本の文化や生活習慣が身についているので、ブラジルに行った当初はかなりのカルチャーショックを受けましたね。当たり前だと思っていたことの80%がそうでもないんじゃないのかって思えて。特に子どもと大人の関係性というか、ブラジルの大人たちは相手が子どもであろうと本気でPK 対決をするんですよ(笑)。
大人の部分が芽生え始めた15 歳の多感な時期に、いい意味で大人じゃない大人たちが近くにいて、上下関係などなくラジカセ1 個あればみんなで踊っているという世界がそこにあった。15 歳だからみんなの前で踊ることに恥ずかしさとかもあるじゃないですか(笑)。でも「なんでおまえは踊らないんだ、不思議なやつだな」という感じで、踊っていないやつのほうが変なやつだと思われるんです。あの年頃でそういう環境に入っていったことで、心に蓋をするタイミングを逸したのかもしれないですね。ブラジルだと斜に構えると居心地が悪くて、“子どもに戻る” というトリガーを引くだけで、その場を楽しめるようになるんです。ブラジルに行ったこと、帰国後も親元を離れての寮生活を送ったことで、価値観は大きく変わったと思います。

糸を掴むような気持ちで見つけた
画家として“絵を描く” という人生の歩みかた

サッカーを頑張っていたときに怪我が続き、スポーツを一生の仕事にするのは難しいんじゃないかなと思ったことがありました。今まで無限にあると思って積み重ねてきた時間に、限界があることに気付いてしまったような、年齢制限があることに怖さを感じたというような。大学在学中がちょうど就職氷河期と言われている頃で、職種が選べないという状況ではあったんですが、次に繋げられることや永遠に続けられることを職業にしたいという想いがありました。

そんなとき、サッカーを一緒にやっていた仲間が、ファッション誌のストリートスナップに載ったというのを聞いたんですよ。いいなあと思って、サッカーを辞めた最初の日曜日に福岡に行って撮影会に参加しました。発売日が近づくと毎日本屋さんに立ち寄ってチェックしていましたね(笑)。
発売された雑誌の福岡のページに目を通したんですけど、どこにも掲載されていなくて…。「出てないなあ、小さくてもいいから載りたかったなあ」と思っていたら、大賞のページに自分の名前を見つけて、腰を抜かすほど驚きました!サッカーを辞めて、自分が何者かと言いがたかった時期だったので、ファッションで表現することに希望を感じたのを覚えています。それを機にいろいろな雑誌のスナップやオーディションを受け始めて、東京に面接や演技の審査を受けに行ったことがありました。

そのときに訪れた表参道で絵やアクセサリーを売っている人たちを見て、強く惹かれたんです。すぐに大分に帰って、描いた絵を持って上京し、表参道や井の頭公園で売るという生活を続けていくうちに「これが自分に合っているのかも」という感覚を抱いて、画家としての経験を積んでいきました。
ファッションスナップからの流れに一つひとつ意味があったというか、糸を掴むように新しい頼りを探していたんだと思います。もし絵に出会えていなかったら、今頃何をしていたのかなってたまにふと考えますね。

大切な日常を過ごすための
画家として、父親としてのファッション

昔はおしゃれをするということが前提で洋服を選んでいましたが、今は“おしゃれをしない” という選択肢もでてきました。大衆的というか、あえて埋もれたいという心理ですね。「みんなと一緒です、絵を描いています」というスタンスじゃないと、僕の描く絵に意味がないというか、共感が生まれないような気がして。日常生活も特別なことをするのではなく、子どもたちと接したり、TV や街中の広告物を見たりして、自分が欲しているものが、たくさんの人の感覚と近い方が描くべきものが見えてくるのかなと思っていて、日常を大切にしています。

毎週金曜日には家族で食事をしにAMU PLAZA に行くんです。そのときに家族と一緒に館内を回って買い物もします。子どもの洋服を購入したり、東急ハンズで雑貨をチェックしたり。絵を描くとき以外の役割は父親なので、子どもの皮膚が擦れて痛くない素材にしたり、子どもに合わせて動きやすい服を選んだり、機能的な服装を求めるようになりました。若い頃は父親ファッションなんか絶対せずに、一生おしゃれしてやる!と思っていましたけど(笑)。

あとは絵のじゃまをしない服装を選ぶようにしていて、自分の中のシンプルでありたいという想いに、『無印良品』のアイテムがとてもフィットしています。今はリーズナブルでいいものもたくさんあるので、昔に比べてすごくいい時代ですよね。あと画家としても、父親としても一番大事なのは、汚れてもショックを受けない服装。これが一番かもしれないですね(笑)。

あえてルーティンを持たずに
今の自分らしさを残した絵を描く

世の中には学問的な芸術や研究的な芸術というのがありますが、僕の体感したい芸術はそういう部分ではないなと思っていて、絵を描くときに「こだわらない努力」をしています。“子どもに戻れる”というのは、今でも僕自身の武器になっていると思っていて、何も考えずに、何でもいいと思って描いています。極端に言うと「どうでもいい」。それくらいのところに気持ちを置いておかないと僕の中ではうまくいかないんです。

僕が転んだり、世間から見たら下手だなと思われたりするのも含めて作品だと思ってもらえると一番いいなと思っています。だから描き変えたり、うまく見せようとしたりせずに、“下手な部分を直さない” でいたいんです。今の年齢の下手さをきちんと残しておきたいなって。上手く見せようと取り繕って描いたものは、3 年すれば普通に描けていると思うから、それをしないようにしています。

ルーティンもなるべく持たないようにしていて、“こうしないといい絵が描けない” とか、“この画材がないと描けない” という状況をなるべくつくらない。紙とペンしかないのなら、その道具を使って描けないと不幸が始まりそうな気がしてしまって。絵描きとして自分自身を高く見積もって人に見せないといけないというのが、苦しく感じてしまうので、“その環境でいいんだ、そのままでいいんだ” と思うようにしています。たとえ自分の不慣れなペンを渡されたとしても、それを使って描ける画家でありたいですね。

基本的には自分が描いた作品をとって置くというようなことは少ないんですが、ドラマを通して自分の作品を観たときはとても感動しました。自分にとっては見慣れた色使いでも、視聴者の方にとってはどうなんだろうと不安に思うこともありましたが、ありがたいことにたくさんの反響をいただけてとても嬉しかったです。今後もまたたくさんの方に作品を観ていただける機会があるので、楽しみにしていただけると嬉しいです。

北村 直登 NAOTO KITAMURA

1979 年生まれ、福岡県春日市出身。幼少期よりサッカー漬けの日々を送る。大分県佐伯市の高校へ進学し、在学中に1 年間ブラジルへサッカー留学。大学時代に絵を描くことに興味を持ち、東京と大分を行き来しながら、路上にて毎日絵を描き販売する。2002 年に大学を卒業後、大分市で画家としての道をスタート。2005 年には大分市美術展覧会入賞。現在、全国各地で個展やイベントを開催。またドラマへの絵画作品提供をおこなうなど、活躍のフィールドを広げている。